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だいしろぐ

大志郎の日記。面白い人の話を聞いたり、アイディアの備忘録も兼ねて

「誰かのやる気スイッチを押すことは出来ないが増やすことは出来る」(湯浅誠)SmartNewS ATLAS Program2 #社会の子ども vol.1イベントに参加して

レポート SmartNewS ATLAS Program

社会の子どもをいかに「社会化」するか

「対人支援」の領域は、どこまでいってもつまるところ関係性の調整だ。
「当事者」と「支援者」・「社会問題」と「世論」・「地域支援」と「広域支援」などなど利益や立場をめぐって対立/反発しがちな両者の溝を埋め、「理解」という橋を架けるにはどうしたらいいのだろうか。
どのような言葉・どのようなきっかけ・どのような態度が必要なのか、結構悩む。

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スマートニュースがおこなうNPO向けCSRプログラム「SmartNewS ATLAS Program」。二回目を迎える今回は「社会の子ども」をテーマに、困難な環境にある子どもたちを支える「コミュニティユースワーカー」養成事業をおこなうPIECES(ピーシーズ)と、赤ちゃん養子縁組事業をスタートさせたフローレンスを助成団体に決定。
そのプログラムがオープンなイベントを開催するというので、のこのこ参加してきた。

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「貧困支援」という「市場」でイノベーティブであるとは?NPO法人Homedoorの東京報告会に参加して考えたこと。

レポート Homedoor

NPO・NGOは多数あって、その中でもホームレス状態の方や生活に困窮されている方の支援をおこなう団体も多数あるが、それらは一部をのぞいて、いわゆる「ソーシャルベンチャー」的な事業展開であったり情報技術による効果の最大化のようなことが、比較的進みづらい分野なのではないかと思う。

理由はいろいろと考えられ、ひとことではいえない。
扱っている問題が非常に重い歴史的経緯をはらんでいること。「受益者」からお金を取ることが基本的に難しいこと。メインプレイヤーの高齢化もあるのかもしれない。単純に社会問題として(子どもの貧困などに比して)「人気」がないこと。などなど。

ただ、社会全体の困窮度の複雑化と偏在が進むと同時に、権利意識や当事者意識の分断が進んでいる状況で。
直接的な受益者(困窮されている方)に対して、「複雑化=コストをかける」支援ニーズを満たすためにも、直接的な受益者以外にも問題へ関心を持ってもらうためにも、何らかのイノベーションは必要なのではないかと思う。

現実的な話、大多数の人間は「貧困」や「ホームレス問題」などは自分には(関係する直前まで)関係がないと常に思っているわけで。
まずは目新しい仕掛けによって「新しそう」でも「楽しそう」でも「面白そう」でも構わない、あらゆる手段をもって関心を呼び込んでいく必要があるんじゃないだろうか。

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「居場所」の軸をどうするか?。中野区江古田のイベント『ファミコンあつまる』に参加して考えたこと。

インタビュー レトロゲーム

いろんな対人支援(こども・若者・困窮者など)の文脈上で「居場所」というものを開設する、ということはよくおこなわれている。
ひらたくいえば一定の時間、一定の空間を用意して、「ここに自由に来てもいいよ」と呼びかけ集まりすごしてもらうのが「居場所」の主旨なのだけど、当たり前だが不特定多数の人間が一カ所に集まって「気分良く」「楽しく」「すごす」ということは大変難しい。

なにかの「軸」というか「たて」がない、つまりそこにいるスタッフやメンバー同士で「ただいる」「ただおしゃべりする」という状態は、想像以上にハードルが高い。

おしゃべりなどを楽しむためには「コミュ力」という通貨が必要だけど、残念ながらこの通貨はリアルマネーの所有額と比例する傾向があるのではないかと思う。なんらかの状況からリアルマネーが欠乏した状況だと、同じように「コミュ力」マネーも欠乏しがちだ。

いきおい居場所では「何か」をすることになるが、では「何を」するのか?
「みんなで料理」とか「みんなで行楽」とかよくやるけれど、もう少し何かないかなー、とはいつも思う。

支援系の文脈であろうと、ウェーイ系の文脈であろうと、人が集う枠組みはそれはすべからず「居場所」といえるわけで、(参入障壁の低さを別にして)本質的な部分は変わらない。
構成メンバーごとバラバラのリテラシーを考慮しつつ、「誰にでも来られる居場所」と「すごくて楽しい居場所」というものを両立させることに、主催者側の人たちは悩んでいる部分もあるのではないかと(もちろん「誰にでも来られることが最重要!」という考え方もあるだろうが)個人的にいつも思う。

何か面白い軸はないだろうか。

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10年程度こじらせたワナビの死にざまについて。あるいはこのブログについて。

日記 黒歴史

もちろん誰にだって捨てられないものくらいあるのだけれど、自分は4つの「箱」、そこに詰まった紙束が捨てられない。

中学生の頃くらいから小説が書きたくて、アイディアらしきものが浮かんだら片っ端からメモをとっていた。最初は大学ノートとさまざまな紙切れに、途中でかなり早い段階からワープロを買ってもらい(東芝Rupo!)電子的な手段も併用していた。小説はぼんやりと書き散らしていたのだけれど、20代で本格的にやりたくなって作品として意識しつつ投稿なんぞも始めていた。

いわゆるワナビというやつだった。

正直全然自分では上手いとは思わなかったけれど(嘘つき)、プロの小説家になりたかった。本当になりかった。

もちろんなれなかった。

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