もちろん誰にだって捨てられないものくらいあるのだけれど、自分は4つの「箱」、そこに詰まった紙束が捨てられない。
中学生の頃くらいから小説が書きたくて、アイディアらしきものが浮かんだら片っ端からメモをとっていた。最初は大学ノートとさまざまな紙切れに、途中でかなり早い段階からワープロを買ってもらい(東芝Rupo!)電子的な手段も併用していた。小説はぼんやりと書き散らしていたのだけれど、20代で本格的にやりたくなって作品として意識しつつ投稿なんぞも始めていた。
いわゆるワナビというやつだった。
正直全然自分では上手いとは思わなかったけれど(嘘つき)、プロの小説家になりたかった。本当になりかった。
もちろんなれなかった。
そうしてワナビをやめた今、どうしようもないものは処分してなお、捨てられなかった青春の残骸が箱4つ分残った。ノート11冊がメインで、あとはアイディアやらフレーズをぐしゃぐしゃと書き散らした様々なメモ紙の山(+日記帳も兼ねていたテキストファイル)。ノートには日付が確認できる。
その1冊目はこんなふうに題されている。
小説の構想及びプロット、雑多な思いつきや取留めなく書き殴られたメモなど、創作に関連して発生する、全ての手書きによる文章を表記し紛失せぬ様集中的に管理する為用意された、コクヨ社製B中横罫大学ノート(ページ数50店頭小売価格120円消費税別)を使用して展開される自由帳。あるいは記述用具の為の、大いなる模索
あいたたー。このラベルを貼ったのは19歳くらいだったと思うけど、それにしてはきつい。内容は下記写真な感じだが、情熱の空回りっぷりにため息を禁じ得ない。
今現在も屍の山を築き上げているであろう「ワナビ」達にはさまざまな「死因」あるいは「死にざま」があるのだろと思うのだけど、自分は毎日毎日書いて「は」いるパターンだった。
書いて「は」いるのだけれど、物語は日々伸び続け、投稿するはずだった小説賞の規定枚数をオーバーし、ひとりしきり膨張し時間を食いつぶした挙げ句「この作品は駄目だ、次!」とする行動をどうしようもなくくり返していた。単純にまとめる力がなかったわけだが、毎日毎日「物語」の「続き」は「書ける」ものだから、正直「完結さえできればいける」と思っていたのだった。
あいたたー。
ニヤニヤしながら「これはいける!」というアイディアをメモにとり、それを集積して本編を書き始める。一年ごとにめぐってくるおもだった純文学系の小説賞を目標に、書き継いだ枚数が100枚のころは「群像新人賞」へ、200枚のころは「太宰賞」へ、400枚で「新潮新人賞」へと次々フォーカスをかえる。
550枚を超えるころには「もう、なるようになれ」と破れかぶれで飽きるまで書いていた。今思えば滑稽だが、あくまで正門からのデビューにこだわって、ネットへアップなど全く考えもしなかった。
結局未完で放り出し、しばらくは(ポーズとして)落ち込んでみるものの、まもなくまたメモをとり、メモをとり、メモを重ねて「群像だー!」と書き始める。
メモは増える。
ノートのほかにメモ紙として使っていたものはバラバラだ。一時期は京大カードで揃えていたこともある。立花隆の『「知」のソフトウェア』とか梅棹忠夫の『知的生産の技術』とか野口悠紀雄の『「超」整理法』などにてきめん影響を受けていて、「机は可能な限り大きいものを使え」というアドバイスも素直に実践して四畳半しかない部屋に一畳以上ある机を購入(机の下で寝ていた。バカですね)したり、押し出しファイリングに至っては未だにやっていたりする。
「知的能力」が「記憶力」と≒で語られた牧歌的な時代。
手書きメモはいつまでとっていたのか。ばらばらのメモ紙には日付がないのだが、ノートについては2004年1月12日で更新を終了している。最終ページのアイディアはこう書かれている。
男はその花を頭上めいっぱいまでふりあげ、もう一方の男に向かってふりおりした。
ワナビだった自分も手痛い現実に殴り倒されたのは数年前。最後に書いていたのはほぼ改行なしで1000枚を超えてなお続く作品で、もちろん完結しなかった。正式に息の根を止められたのは経済的な行き詰まりで、「俺はいつか小説家になる」というお題目を担保に周囲の信用を借り倒しつつ、前のめりの生活をしていたのだから当然だった。
ただ、内心はもっと前からすり減っていてた。経済的に行き詰まる1年ほど前からメモをとることが自己目的化したことは覚えている。書いてはいながらも「俺はこれらのアイディアから完結した小説を書き上げることはないだろうな」と。
それでも結局、自分の意思の力で「ワナビやめます」とはできなかった。クソみたいな話だが、経済的にスッテンテンにならないと駄目だったのだ。
ネット上で「漫画家になりたい親族がいるが、いつまでたってもデビューできず、さりとてまともに働いてくれない。どうしたらよいか?」みたいな釣りっぽい相談を見かけるけれど、「現実の厳しさ」みたいなことを誰が説教したところであきらめてもらうのは(その妥当性はともかくとして)難しいとは思う。「本当にやめさせたい」と思うのなら(くり返すが、それが妥当であるかどうかは別問題として)、金銭的な援助の遮断しかないようには感じる。
そうやって「明日は書(描)ける、明日には完成してデビューできる」という小さな希望にすがって、人間関係をライフラインに変換しながら、どこまでも喰らいついていく。「あいまいなものに貴重な人生前半を賭けてしまった人間の情念」というものは、クソみたいだが半端ないんじゃないかと思う。
なんだかんだでそうやって、ワナビをやめる。
もちろんワナビをやめたって、人生は続く。
今ご縁があって、仕事の傍ら、小さなプロジェクトとして関連する領域の方々のインタビューをさせていただいている。いろいろな方のいろいろな生き方をうかがって、もちろんそれぞれに興味深いのだけど、特に惹かれる経験談の流れはやっぱりある。
一方、このエントリーを書くにあたってアイディアメモを悶絶しつつ読み返していたのだけれど、気に入ったアイディアのパターンは表層を変えつつくり返し出てくることがすぐにわかる。
「またこれかよ。ワンパターンだな」と過去の自分に突っ込みをいれつつも、実は今でも読んでいて悪い気はしない。
ふと気づくと、うかがっているリアルな人生もその「好きなパターン」に寄せつつ共感したりしている自分に気づく。
おとながつくったものがたりを、こどもがおわらせるおはなし
うん。まぁ、こういう好きなんだからしょうがないよね。結局何かを(それがあさっての方向であっても)いったん目指してしまったら、そこを諦めたとしても、いつまでもその方向に寄りそおうと(あるいは復讐しようと)するものなのかもしれない。
それは興味深いし、恐ろしいし、少し哀しい。
このブログにはイベントのレポートや面白い人に聞いたお話も載せられたらと思うのだけれど、基本的にはどうでもいいメモや個人的な日記だ。結局また、数年経てばネット上に再び捨てられない「箱」が増えるだけなのだろう。
それはもうしかたがない。魂に刻まれたワナビの刻印から簡単に逃げられるとは思うなよ、ってなもんだ。